<闘病2>  平成10年11月12日〜12月17日

発症から4週間が過ぎようとしていた。
そのあいだ悠夏は恐ろしいほど新生児がえりしていった。いや新生児の時のほうがよほど活発だったかも知れない。
ほとんどというか全然笑わない。顔も動かさない。あんなに好きだった指しゃぶりもまるで自分に指があることすら忘れたかのようにやめてしまった。追視も怪しくなっていった。座りかけていた首はグラグラになりけれど体だけは大きくなっていった。

ACTH療法に入るときK先生から副作用についての説明があった。
1抵抗力が下がり感染症にかかりやすくなること
2顔が満月のようにむくんでふくらむこと
3場合によって一過性の脳の萎縮がみられること
4おなかが空いて異常に不機嫌になること  などだった。

感染を防ぐため締め切りのガウン・マスク着用の部屋に移った。
ACTH筋肉注射を2週間連日行い発作の状況を見てその後隔日、2日置き、3日置きと減量していく。そう説明された。途中副作用により中止になることもあるともいわれた。

はじめの4日はなにも変化がなく不安な日々を過ごした。だがACTH筋注6日目、はじめて記録上の発作は0になった。発作を見るという苦痛から開放されたのだ。
よくがんばってくれた、よく効いてくれたと誰よりもまず悠夏をほめたかった。
脳波上でもヒプスアリスミアという点頭てんかん特有の脳波はなくなりそれでもまだ若干のてんかん波は残った。

それまで特にみえていなかった副作用と言うものがみえてきたのは10日目を過ぎたころからだった。
不眠、不機嫌、空腹、泣くことしかできない悠夏はひたすら泣いて訴えた。もう少し、もう少しがんばって!悠ちゃん!そんな日々も3日ほど続くとその後は落ち着いてきた。
2週間の連日注射は終わり減量の段階に入るとホントに久しぶりの笑顔が見られた。思わずつられて微笑んでしまうような天使の(笑)笑顔だった。

怖いのは再発だった。このまま治りましたですむ程甘くはないだろう。けどできればこのままてんかんとさよならしたかった。できれば・・。
それはもうあと一回で注射も終わり退院というものが見え始めていた時のことだった。

突然眼球が左上に上転しツイストするような動作をくりかえす。血の気が引くのを感じていた。それを聞いたK先生は早速デパケンの服用を指示しその日の夕方から服薬となった。
「私達が1回見たくらいで発作ときめていいのでしょうか」そう言うと、「看護婦もけいれんといっていますので間違いないでしょう。今ならデパケンで押さえられるかも知れません。」先生は言った。
「先生に発作を見ていただきたいのでビデオを持ち込んで撮影していいですか?」了解をとりその日から撮影をすることになった。次ぎの日発作をビデオで見たK先生は「単純部分発作」だと言った。脳波もとってみたがヒプスアリスミアはみあたらない。若干のてんかん波が残っているだけだった。

両足をピョコンと上げる発作は日に2、3回見られた。退院は無理だろうなと思っていた私達にK先生は「この程度の発作であれば飲み薬でコントロール可能ですし脳に障害は有りませんから予定通り退院していいんじゃないですか」そのような事を言われた気がする。「服薬」は入院治療の対象外のようだ。

単純部分発作で「デパケン」?デパケンで止まるのだろうか?結局「デパケン」では発作はおさまらず、発作時の脳波をとろうと検査室で1、2時間粘ったがいいのか悪いのか発作は起きず発作時の脳波はとれなかった。
せめて今度の発作をコントロールできる薬が決まるまで、病院に残り治療を続けたかった。発作が残っているまま、服薬する薬が決まらぬまま家に帰るのはとても不安だった。年末も控えていて外来で治療が後手にまわるのも怖かった。

結局私達は当初の予定の1日遅れで退院となった。効くのか効かないのかわからない薬を持たされて、不安と喜びが複雑に入り混じった退院となった。