<入院>  平成10年10月23日

こんな状態で1週間も様子など見れない!だれかなんとかして!悠夏の発作を止めてよ!1週間様子見と言われていたのに私達は耐えられなかった。「まずは発作を止めてあげることが第一、治療は早ければ早いほどいい」どこかのHPにそんなことが書いてあるのを見て、うちでこんな効かない薬を飲んでるだけでいいのか。手遅れになりはしないのかとあせった。
病院に電話しその旨I先生に伝えると「わかりました。これから来てください。」
ああこれでなんとかなる。次ぎの薬はきっと効いてくれるだろう。

「まだこの薬の効果を判定するには早いのですが発作も増えているようだし、次ぎの治療に入りますか。これからは入院が必要ですが入院されますか?」
ああそうかこの次ぎは入院しなくちゃいけないのか。

このころ私達は病院についてもいろいろ調べていて、てんかん専門の病院が各地に何件か有ることを知っていた。けれど遠かった。生活のこともあるし何よりこれ以上治療を遅らせるのは嫌だった。
「こちらの病院はどのような看護システムですか?」病院に無縁だった私達は本当に何も知らず、たくさんの勘違いをしていた。
「完全看護です。面会時間は午後2時から8時まで。病棟については看護婦の方から説明がありますよ。」I先生は言った。
私達は親なのだから当然付き添えるものだと思っていた。
ところがI先生は「原則としてよほど重症でない限り付き添いはできません。面会時間については若干の融通は利くと思いますが。」そう言った。
悠夏をここにたった一人でおいていく?胸が引き裂かれるような思いだった。
よほどの重症例ってなによ、この子だって重症でしょう。
けれどこの思いはあとで病室にいってみてくつがえされることになる。

入院を決めると看護婦が病棟に案内してくれた。悠夏は内科病棟の3Cの1号室に入ることになった。
そこには5人の子供達がいた。普通なら5人も子供がいれば泣いたり笑ったり遊んだりにぎやかなものと想像していたが、あまりに静かで驚いた。
「県内で手におえない重症な子はみんなあそこに行くんだよ。」だれかが言っていたのを思い出す。
1号室の子供達はみんな私が今まで見たことも無いような子供達だった。
なるほど・・悠夏は軽症かもね。この時はそう思った。

こうして悠夏の入院生活は始まった。私は悠夏のいない家を想像した。