5年ぶりに我が家に赤ちゃんがやってきた。上の子は大騒ぎで妹の誕生を心から喜んでいた。
正直私は2人目の子を上の子以上に愛せるか不安に思っていた。初めての子のかわいさは半端ではなく子を持つ感動にうちふるえていたから。
まして望んだ妊娠ではなかったので(悠ちゃんごめん!)よけいだ。
けれど産んでびっくり!なんとまあかわいいことかわいいこと。
上の子に手がかからない分私たちは悠夏を一人っ子の様にかわいがった。
忘れていたおっぱいの匂い、命の鼓動を感じさせる泣き声、すがるように私を見つめる瞳。産んでよかったなあ 心底そう思った。
1ヶ月で目が見えていたのか私の顔を追視する。じっと見る。2ヶ月目に入ると声を出してよく笑った。首も大分しっかりしてきていた。この子は発達が早いかななんて親ばかにも思ったものだ。母乳もよく飲み私の乳首が切れてしまったほど(笑)。
体重も順調に増え1ヶ月検診ではなんの異常もなく先天性代謝異常の検査もなんなくパスした。当たり前さと思った。
それなりに育児は大変だったけれど3ヶ月たてば楽になる。後もう少し、そしてもっともっと楽になっていくというのが私の育児経験だった。
2ヶ月半になった10月17日、おっぱいを飲みながらなにやら「うーん」といきんで体が縮む。何回か繰り返す。そう大人が腹筋運動するようなそんな動き。
生まれた時からわりとよくいきむ子であまり気にもならなかった。
ところが次ぎの日の夜事態は変わる。体を縮めて泣き叫ぶのだ。体が縮まるとき泣き声も大きくなる。(ひょっとして腸重積?)こわくなって育児書を見る。
赤ちゃんがただならぬ泣き方をして治まらないときはどこかが痛いとき、特におなかが痛いとかばうように体を丸める なんて書いてあり、ますます心配になり急いで夜間救急の病院に電話した。
小児科医がいる病院を探しているうち何事も無かったように泣き止んでしまった。
泣き寝入りした様子だった。
「ほんとに痛ければ眠れないだろう、とりあえず落ち着いたから様子をみよう。」そうきめてその夜は不安な気持ちで眠った。
つぎの朝、悠夏は特別変わった様子を見せず、保育園に行くお姉ちゃんを笑顔で送った。
「元気だけどうんちも出てないし気になるから病院行こう」ダンナに言われ、一緒にかかりつけの小児科を受診した。
昨夜の様子、うんちが出ていないこと、なにか重い腸の病気ではないかということを話しているうち、悠夏が例の縮まる動作を何回かしたのだ。
先生は「腸は大丈夫でしょう。それより今の動き・・てんかんじゃないかな」
初めててんかんなどという言葉を身近に聞いた。なにそれ てんかんって・・。
「点頭てんかんといって知能障害を起こす恐れの有るてんかんよ。脳波をとればすぐわかるから検査だけでもしてみなさい。ちがったらそれでいいのだから・・。」
そう言われ県立の小児専門病院を紹介された。その時はなんで脳波をとるのにそんな大きな病院へ?ってなんでここでとれないの?って。何にもわかってなかった。
次ぎの日の朝一番に予約がとれたということで「ちがってるといいね。」そう言う先生の言葉をあとにして家に帰った。
帰り道ずっと息が苦しいような変な気分だった。私は図書館に行き育児書を読みあさった。今考えると育児書じゃないだろうと思うけどそれくらい病気とは無縁で暮らしていた。
育児書には「熱が無いのに痙攣する場合はてんかんの疑いがあります。大きな病院で検査をすることを薦めます。」等と書いてあったが、てんかんてこういうものとは全然書いてなかった。
帰るとダンナは早速インターネットでてんかんについて調べまくっていた。
つぎつぎとプリントされてくる資料を見てだてに高い箱じゃないなと初めてPCがあったことを喜んだ。(悠夏が病気になるまで私は見るのもうっとうしいほどのPC嫌いでした。)
が書いてあることは辛辣で特に点頭てんかんに関しては絶望するだけの内容だった。
まだ検査もせずきまったわけではないのに悠夏をてんかんと決めてしまった。
それと同時に「発作」といわれるものが頻繁にみられるようになり、私はどうしていいのかわからなくなった。
とりあえず今の悠夏の様子を記録することが大切なのではと思い、発作の様子やその他の生活の様子など記録し始めた。
それから私は一人になるときまって泣いていた。
次ぎの日の10月19日、紹介先の病院にて脳波検査をうける。
検査がすみ眠っている悠夏の顔を眺めていると診察室によばれ結果が報告された。
「点頭てんかん特有の脳波がでています。点頭てんかんでしょう。原因はある場合もあるし、ない場合もあります。原因がない場合特発性といって比較的予後がいいです。それは今後検査をしないとわかりません。とりあえず今日はビタミンB6というおくすりを1週間分出しますのでそれで発作がおさまるか様子を見てください。」初診でかかったI先生は静かにそう言った。
ビタミンB6でだめだった場合その後の治療は入院治療になること、予後はまちまちだがいまのところなんとも言えないこと、などを付け足した。
最後には妙にしーんとした空気が漂い、でもなんとかなるそう信じていた。
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