<新たな試み> H11年10月〜

 1歳を過ぎてもゆうかの発作はなくならず形が変わることもなかった。
夏に静岡の国立療養所静岡東病院を受診したが特にこれといった治療方針の変化もなく、ゆうかはまた今までの医療センターに戻った。

私は記録魔だ。発症してから今までずっと食事から排泄、起床時間から午睡までこと細かく記録している。もちろん発作もだ。こうしてデータを取っていればゆうかの発作の起こりやすい時間や状態発作が頻発したときの条件などがわかるかもしれないと思っていたからだ。
だけど、ゆうかにはこれといった発作の誘因はなくただ、睡眠と大きく関わっているらしいことだけがわかってきた。

1歳をすぎてゆうかの発作は寝起きに限られ、午睡も30分程度と決まってくるようになった。1歳やそこいらではまだ日に3回は寝起きがある。起床時と午睡。発作が出ることが前もってわかってきたというのはなかなか便利でもあったが同時に寝起きが恐くなった。

私は未だに慣れない。発作を起こすゆうかを見て、心が痛む。

私は見ていることしかできないのだろうか。どんなにてんかんの勉強をして脳を知り薬を替えてもゆうかの発作は完全になくなることはなかった。
無駄な努力に思えることもあった。
薬ではどうにもならないかも知れない・・・。
なぜ薬を飲ませているのだろう。

それからネットで知り合った難治性てんかんの男の子を持つお父さんの影響で食事やその他の生活に気を配るようになった。
その中で交流磁気治療器という治療器があることを知り、良いことはあっても悪いことはないだろうと早速治療器をレンタルして使って見ることにした。新たな試みである。
結論から言ってしまうとゆうかの発作に対してこの治療器が与えた影響は目に見えてはない。私も始めるときに「これでてんかんが治る」という考えはなかった。が、もしかして長い目で見たら完治に近づくのではないか、そうでなくても薬の害から少しはゆうかを守ることができるのではないかと希望を持っていたのは確かである。

食事の面では今まで気にもしていなかった、添加物や、農薬に敏感になり、栄養の面でもゆうかの体をフォローすることに神経を使った。やることが一気に増えた。

私は見てるだけしかできないのだろうか・・・。
この思いにずいぶん苦しんだけれど今はその呪縛からほんの少し解き放たれているように思う。