<発作から逃れられない> H11年7月〜


2度目の入院から家に戻ってしばらくは平和な日々だった。再発の恐怖におびえながらもこの手に戻ってきたゆうかとの生活を楽しんでいた。

退院して2週間目3月5日に退院後の初めての外来診察の予約が入っていた。
そして、その日念のためにねと気を配ってくれたO先生は脳波の予約も入れていてくれた。
このはじめての外来に行く2日くらい前、いやーな感じのいきみを見る。ほんの少し首をすくめるようないきみ。単発で確認する。発作?何度となく味わった挫折感と脱力感が私を襲ってくる。
退院してまだ2週間だというのに・・。再発は覚悟がないわけではなかった。けれど、こんなに早く・・。やっぱりACTHは一時しのぎに過ぎないのか。
とりあえず記録をとり、様子を見ていた。気にして見ているとその単発のいきみは繰り返し見られるようになった。やっぱり発作だ。間違い無い。そして診察の際、それを告げた。丁度脳波の検査が入っていたので、脳波上でも発作波が確認されたため再発ということでしょうということだった。
どうしよう・・。もうACTHはできない。この程度の脳波で、しかも現れている発作がまだ軽い。今ならなんとかなるんじゃないのか。無い知恵をしぼって考えた。主治医も考えていた。
今できること。それは、かつて試したリメタゾンという週に一度の静脈注射と新しい抗てんかん薬の投与、TRHという連日の静脈注射のみ。
TRHは入院治療が必要ということでやめた。入院させたくなかった。
ここまでの手記を読んでいただければお分かりと思うが毎日夜離れているゆうかを思って、いたたまれない気持になるのはうんざりだった。
リメタゾンならば外来でできるということで、早速その日1本目を注射した。新たにフェノバールをいう薬も追加した。残念ながら発作は無くならず少しずつ発作とわかるものに変わって行ったがなぜか前回の時のような無表情・無反応・発達退行は見られず少しだけ気が楽だった。

理学療法に通い始めたのもあってか発作は無くならないけれど毎日のゆうかに良い変化が現れるのも確かなことだった。

その後リメタゾンもフェノバールも効果なしと判断されて中止になり、新たにエクセグランという抗てんかん薬をはじめた。この薬が効いたのかどうかさだかでないが時折発作を起こさずにすごせると言う日が数えるほどだが出てきた。私はこれは本人の成長によるものではないかと思っている。
退院して規則正しいストレスの少ない生活を送り、訓練に通い多くの刺激を受けることによって、悪い波を抑えようとする力が少しずつ備わってきたのではないかと。

4月に入ると寝返りを覚えた。訓練で教わった体操をはじめて一週間目のことだった。
寝返りひとつでもばかみたいに喜んだ。入院中にぐらぐらになってしまった首もすっかり座って、少しだけ先が見えてきたような明るい予感。

去って行った主治医は「発達の邪魔をしない程度の発作ならば無理に抑えようとせず上手に付き合って行くのがいいと思います。」と最後に言った。
「そうですね。」私は納得していたのかどうかわからないがそう答えた。

このとき再発した発作は今では完全な点頭発作に形を整え(?)まだ毎日ゆうかを苦しめている。私が大嫌いなこの馬鹿野郎!こいつからは逃れられないのか。この大嫌いな馬鹿野郎と上手に付き合っていかなければいけないのか。それでゆうかは満足なのか。
最初に強く持っていた、「絶対に治してあげるからね」という気持。医師は結局だれも言ってくれなかった。「妥協しなさい、目をつぶりなさい、完治は難しいのだから・・・。」

そうなのか・・・と思うのは楽なことだった。楽になりたい気持もあったのかも知れない。
最初に掲げていた「絶対治して見せる」というゴール。このゴールを見失いそうになっていた。
けれど・・・今は発作と言うこの大馬鹿野郎から逃れられずにいるが「いつか必ずお前をやっつける!!」
そして悠夏と家族みんなでゴールの白いテープを切るその日までただただ走り続けるのだと決意を新たにしているのだった。