<再入院> 平成11年1月20日〜2月23日

再発が確認されたのがよその、しかも療育をする学園だったことは流石にバツが悪かったらしい。N先生は私達の抗議にも頭を垂れるばかりだった。けれども謝罪の言葉はとうとう聞けなかった。
「すぐに入院してもう一度ACTHをやりましょう。」
再入院が決まった。またこの病院に毎日通うのか・・。そして毎日夜、悠夏は生きてるだろうかと心配するのかと思うと、気が重かった。しかしそれより再発した発作を早くとめてあげなければ・・。

ACTH療法は前回と同じ投与スケジュールで、経過も前回とほぼ同様の経過をたどった。いや、前回より効き目は良かったように思う。発作は5日で消失し脳波の乱れもなくなった。すぐに笑顔が戻ってきた。
私達も2度目とあって、精神的にかなり余裕のある闘病となった。
それは今度また新たに主治医になった、O先生との相性がよかったせいもある。
O先生は一見ポーカーフェイスでクールに見えるがとても子供が好きなんだなと思える先生だった。病室にも毎日顔を出して、悠夏の顔をのぞいていく。ベタベタするといった子供好きではなくその子供を見る目が優しいのだ。
検査結果の報告や治療の経過も丁寧に話してくれ、私が病気について詳しいことを嫌がらなかった。それが嬉しかった。
私の通院するというストレスは半減した。正直、退院したら別の病院に転院しようと考えていたが、この先生になら信頼してついていけると思った。だからもう少しここで頑張ろうと。

私の望む医師の姿勢をO先生は持っていた。
病気が治るか治らないかは本人の生命力や力であると思っている。けれど患者の苦しみを最大限軽くしようと努力するのが医師の仕事。やはり熱意や誠意は見せて欲しいもので、それが患者に伝わればその医師の経験や年齢など関係無く患者は信頼するものと思う。し、そうするべきだと思う。
臨床経験が豊富で有名な医師が名医であるとは限らない。中にはとんでもない「迷医」もいるものだ。

N先生は今回の再入院で一度も病室に顔を出さなかった。
「悠夏ちゃん、経過はどうですか?」の一言くらいあって然るべきと思うのだが。

ところがO先生は4月に移動で研究室に行かれると言う。なんてこったである。「どうしていっちゃうかなぁ。」愚痴るとO先生はしきりに恐縮していた。あとにつく先生にしっかり引き継いで置くからと。
ついて行こうと思うほど信頼していたのに研究室では・・。
これが目下の悩み。また転院という文字が私の頭の中をよぎっている。

悠夏の状態は見た目はとても落ち着いていて、表情も良く身体的にも健康だ。予防の意味を含めてニトラゼパムというてんかん薬を服用している。
1歳までがめどだと言われた。再発がなく、また他のてんかん発作がでなければ悠夏なりにゆっくりと成長して行くだろう。
先のことを考えればきりがない。今を大事に生きていこう。今日嬉しいことを今日喜んで明日悲しいことがあれば明日悲しめばいい。そんな風に思えるようになった。
3月2日から発達を促す訓練も予定されている。

悠夏と私達の挑戦の始まりである。