先生と呼ばれるお仕事 <医者とダンス教師・その類似点>

 私は仕事でダンスを教えている。先生と呼ばれるお仕事だ。考えて見たら医者とダンスの教師はずいぶんと似た点があることに気がついた。自分の仕事を医者にたとえてみたらとてもおもしろかったのでちょっと書いてみようと思う。

ダンスの教師というのは言い換えて見ればダンスのお医者さんと同じである。生徒はみな何か問題を抱えていてそれを個人では治すことができないのでダンススタジオに治療にやってくる。患者さんだ。
初診(はじめてその人をレッスンするとき)ではまず踊ってもらう。視診ね。
その後、問診する。その人の踏歴や治したいところなどを詳しく聞く。ここで漠然と答えが無い場合、私の独断で治療が始まる。
よくある病因は、音感が悪い、基礎体力がない、理解力がない、センスがないなど、いろいろ。それを告知せずに治療する。
音感がないなと思ってもそれを言ってしまってはショックでへこんでしまうだろう。
根本的な原因はかなり信頼関係が深くならないと、うかつに口にできない。だからとりあえずどうしてそうなのかということを説明する。症状の説明だね。
あなたはここがちょっと悪い、でもそれはこれこれこういうことが原因で、こういった方法をとれば多少は改善されると思いますととりあえずやらせて見る。
ここで意外とあっさり良くなる人もいれば、全然変わらない人もいる。いわゆる難治な患者だね。(笑)
そういう人にはまた違った方法、あるいは同じ方法でも言い方を替える。ひとつのことを治すのにいろいろな薬を投与するのだ。
たまに副作用が出たりして。それはやらせているうちにどんどん悪くなって「言わなきゃ良かったな。」とどつぼにはまるからだ。(笑)
そうなった場合、その治療は一時中断して他のステップなどに移る。
てんかんの治療と似てるなぁ。
病気でもそうだけれど、ダンスでももちろん基礎体力のある人は治りが早い。それに感もいいことが多い。
で、どうみてもダンスやるような体型じゃない人やあまりに体力が無い人にはダンス以前の話をしなければいけなくなったりする。セルフコントロールを薦める。
が、中高年の生徒が多い中、それは多少、目をつぶらないと営業にならないので、ありとあらゆる方法でなんとか改善に持って行く。
大体
30分の診察でほとんどが多少は良くなって帰って行くが次に来たときには元に戻っていることが多い。だからこの仕事、食って行けるのだったりする。ほんとに難しいものだ。
てんかんと同じくらい難しいかもしれない。(笑)

私が生徒を見る上でのポリシーは、
「安易に妥協しないこと」「なるべく楽しい雰囲気で教えること」「何かひとつでも発見させること」「悪い部分を指摘しても決して傷つけないこと」「希望を持たせること」何より一番は「自分が一生懸命やること」だ。
世の中には私より優れている教師はたくさんいるがそれでも私を慕ってきてくれる人には少なからずこれが伝わっているのだろう。生徒との関係でうまくいかないことはあまりない。
たまには大きな声で「なんで出来ないの
?」とマジになるときもあるがそれは私の真剣さがそうさせるのであってそれが伝わっているから生徒も頑張る。この姿勢はいつまでも変わらず持ちつづけて行こうと思っている、私の初心だ。

お医者さん、こうやって考えて見ると先生と呼ばれるあなた方の立場もわかります。
けれど、先生と呼ばれる仕事、やはり先生でなければいけないと思うのです。
私自身、常に反省をしながら先生と呼ばれるに恥ずかしくない人柄を持っていたいと思うのである。